源のおやじの好きなもの!

★好きなartist:

Magic Sam,、Litle Milton、Albert King、BBking、 Muddy Waters
Eric Clapton,Joe Cocker、The Gipsy Kings、他多数
近藤房之助、塩次しんじ、木村充揮、梅津和時、柳ジョージ、ウエストロードブルースバンド(解散)、憂歌団(無期限活動停止)、ブレイクダウン(解散)、もんたよしのり、西岡たかし、金森幸介、斉藤哲夫、小室等、中川イサト、岸部眞明、住出勝則、センチメンタル シティ ロマンス他多数

★好きな作家は

山本周五郎、藤沢周平、連城三紀彦、車谷長吉

★好きな詩人

中原中也 、谷川俊太郎、金子光晴、山之口獏、草野心平

★好きな画家

ゴッホ、府川誠、小林研三、藤城清治、村上保 、原田泰治

★好きな漫画家

やなせたかし、小山ゆう、手塚治虫

★好きな俳優
高倉健、緒形拳、原田芳雄、萩原健一、松田優作、奥田瑛二、ジャンギャバン、ジェムスディーン、アランドロン他

★趣味は

1)海釣り
(探り釣り&落とし込み釣り専門、釣り歴20年、主に北陸敦賀&小浜に釣行)
本目はあずきます
(関西地方ではあこうという、正確な名称はきじはた)
2)温泉めぐり
人があまりいないさびれた風情のある温泉場が好きです。
主に岐阜県、長野県へ出没


【アランドロン】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3
%83%BB%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%B3

フランスの二枚目有名男優。
彼の若い頃はあまり好きではない。
40代〜の特にジャンギャバンと共演した「暗黒街の二人」、「高校教師」が好きだ。
あの頃のアランドロンは渋いの一言である。
あの孤独な眼、男の陰を演じる彼はアランドロンそのものであると思う。
20代の前半によく一人で観にいったが、今でも大好きだ!

☆僕のボロボロアルバム:パンフを切り抜きアルバムに貼っていたんだ〜


「暗黒街の二人」

  
  
「高校教師」

娼婦の母親を持つ不幸な生い立ちの女子高生と人生に疲れた高校教師との美しくも悲しいラブストーリーである。
なんともいえない陰。この映画のアラン.ドロンが最高にいい!
共演女優のソニア・ペトローヴァがほとんど笑わず孤独な瞳を落としていた様相に強くひかれた記憶がある。
今でも彼女の淋し気な顔が浮かんでくる。。

【ジェ−ムスディーン】

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/4247/jamesdean.html
中学生の頃、僕が映画をみてはじめて泣いた映画「エデンの東」のかの有名な主演男優。
他に「理由なき反抗」等に出演。
あの瞳、あのリーゼント、あのリーバイスのジーンズ。あの赤いジャンバー。。。
あの淋しそうな眼が特に印象的だ。
自動車事故により若くして世を去る。


【松田 優作】

1949年(昭和24年)9月21日 - 1989年(平成元年)11月6日)は、山口県下関市生まれの俳優、歌手。存命していれば現在65歳。
刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。1970年代後半から東映セントラルフィルム作品、角川映画作品でアクションスターとして人気を博し、1980年代からは演技派としても認められるようになる。
主演したドラマ『探偵物語』など、後進への影響も大きく、男気にあふれ情に厚く、その勇猛な人間性と卓越した演技力から、1980年代を通じてもっとも重要な日本の映画俳優の1人、カリスマと評価されている。
山口県下関市で、日本人の父と在日韓国人3世の母との間に非嫡出子として生まれた。
父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチメートル近い大柄な男性だった。
2人の異父兄がおり、 (異母兄弟もいる) 兄弟仲は良かったが、次第に自身の出生の秘密に気付き始め、それが原因で孤独を感じるようになる。生家は遊郭であったという事も起因し、心に深い傷を持ったとも言われている。
若くして秀逸な演技力を持ち、様々なシーンで実力を発揮する。
1988年、深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優吉永小百合と共に主役を演じる。
この撮影をしている頃から、松田優作は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。膀胱癌を発症していたのである。
その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演オファーがあった時、演技に支障が出るという理由から手術、抗癌剤治療を拒否、そして病魔が襲う中で念願のハリウッドデビューを飾るのである。
なお、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。
そして、ブラックレイン撮影終了帰国後1989年11月6日、午後6時45分に入院中の東京都武蔵野市にある西窪病院 (現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため、40歳で死去した。法名は天心院釋優道。松田が弟の様に可愛がっていた仲村トオルは松田の遺体の前で「優作さん!起きてください!早すぎるよ!!」と泣き叫んだ。(上記ネット上から抜粋し、一部補記表記したものである)

あえて、松田優作の事を取り上げるには訳がある。
癌に侵されながら手術、抗がん剤治療を拒否し、己の表現の場を優先した哀切極まりない生き方に、小生深く感動する。
これほどまで壮絶な生き方をした俳優がいただろうか。。。!!!


【府川誠】

府川誠HP http://www.fukawamakoto.jp/
北海道在住 版画家
あ〜、いい版画だ。メルヘンティックな版画。すごく惹かれた〜
2003/9/15




【小林研三】

http://www.ann.hi-ho.ne.jp/yamagarou/kobayasi-kenzo.htm
はじめて惹かれた絵画である。三重県桑名出身油絵画家
パステル調の色彩を基調にしたメルヘンティックな作品が多い。
凄く癒されるのである。


【マジックサム】

http://homepage1.nifty.com/bluesknk/msam.html
僕が20代前半はじめてブルースバンドを結成し、はじめてコピーしたブルースartistである。
あのシャウトしたボーカルと魂が奏でるギター最高です。大好きです!!
30代で亡くなっているが、生きていればBBキングと双璧の地位を確保していただろうと言われている。

【黒人霊歌】
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/kousaka/wagner/125th/negro.htm
http://www.hushharbor.net/history/spirituals/s.html     
僕がブルースを好きになった原点が黒人霊歌である。
「ジェリコの戦い」が好きだ。


【フォルクローレ】
南米アンデス地方に継承される民族音楽。
原住民のインディオ、黒人を含めたアンデスに住む人達の民族音楽である。
一般的にはサイモンと&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」で知られている。
とても陽気な音楽と哀愁を奏でる音楽が混在している。
手拍子を自然にうちたくなる陽気な曲とサンポーニャが奏でる哀愁がたまらなく好きだ!




【フラメンコ】
ポルトガルの国境に近いスペインの南西部が発祥の地と言われている。
ジプシーの流れをくみ、人間の情熱、ロマン、哀愁、孤独を表現しているのではないかと推測する。
そして、カンテ(ボーカル)は魂を歌っていると表現しても過言ではない。
僕は、強く強く惹かれている。


【タンゴ】
今から130年程前にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ.ボカが発祥の地といわれる。スペインやイタリアの貧しい移民の男達が、場末の娼婦を相手に歌ったり踊ったりしたのがタンゴの起源であると言われている。
僕はタンゴのリズム&メロディーの中から人生の哀愁を深く感じる。
古典的なタンゴは勿論、クラシック的な要素をとりえたピアソラの音楽に強く惹かれる。


【斉藤哲夫】
http://tetuo0404.web.fc2.com/index.html
僕大好きだ〜
あの強烈なメッセージソングとあの優しさ溢れたメロディアスな音楽とロマンティックな詩。
フォークの哲学者といわれた一面と内面のロマンティズムの融合が素晴らしい。
優しさに満ちあふれた斉藤哲夫。
1997年1月26日、今から6年前彼と出会わなければ、今の自分はないと思う!
是非読んでいただきたい

斉藤哲夫


【アングラフォーク】

japanese folk songs
1970年前後のアングラ.フォーク大好き人間である。
詩が素晴らしいものが多く、心からの叫びがメッセージとなり歌となっている。


【連城三紀彦】 直木賞受賞作家
地元 名古屋市出身 旭ヶ丘高、早稲田大学卒
2013年10月19日(満65歳没)
1981年(昭和56年)に「戻り川心中」で日本推理作家協会賞を受賞。その後、恋愛小説も手がけ、1984年(昭和59年)には「恋文」で直木賞を受賞するなど恋愛小説家としても知られた。また、父の実家が浄土真宗の寺であったことから、1985年に東本願寺で得度している。

亡くなられてからちょこちょこ読み出した。
テーマは男女の愛を題材にしている小説が多い。
文体は叙情的で非常に繊細である。
特に男女の愛を表現する心の軌跡というか心模様の描写が素晴らしい。
そして、常に控えめで奥ゆかしい微妙な愛の表現。
画家が描くタッチの塗り重ねのようである。
非常に惹かれた。
連城三紀彦の小説の世界観は、ピュアー感が溢れた究極のロマンティズムを垣間見る。
彼は単なる推理小説作家ではなく、秀逸なロマンティズムを持ち合わせた純文学作家であると思う。
あまり本を読む機会がないが、読破したいと思っいる。


【車谷長吉 直木賞作家 69歳没 2015年5月
太宰に傾倒していたようです。
誤嚥にて死亡となっているが、生前遺書があり、自殺ではないかと僕は思っております。

昭和20年、兵庫県生まれ。慶応大学卒業後、広告代理店や出版社、料理店などで働きながら私小説を書き続け、自身の生い立ちなどを題材にした「鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)」で平成5年、芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞を受賞。10年に初の長編「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞、13年に「武蔵丸」で川端康成文学賞を受けた。

文庫「赤目四十八瀧心中未遂」
社会の底辺で世捨て人ふうに生きている男と同じ境遇で生きている女性との恋の交わりとその周辺の人々の暮らし向きを独特な表現で著している。
シリアスで暗いが、なんともいえないロマンと切なさが胸にぐっとくる。


【中原中也 (なかはらちゅうや)(1907〜1937)詩人

【主な著作】詩集『山羊の歌』(文圃堂、昭和9年)、詩集『在りし日の歌』(創元社、昭和13年)
現在の山口市湯田温泉に中原医院の長男として誕生。
文学を志して京都、東京へと移り、詩人として生活を送る。
『四季』『歴程』『文学界』などの雑誌に詩を発表。
生前唯一の詩集『山羊の歌』と、没後刊行された詩集『在りし日の歌』があり、ランボーほかフランス詩の翻訳も手がけた。
山口への帰郷を望みながらも30歳で鎌倉にて死去。
魂に響く詩を数多く書き残した。近代詩人として文学史上に名を刻み、幅広い年代層に指示を得ている。

(2014.8.7  源のおやじ)
はじめて彼の事に触れよう。
全て僕の私見である。
彼の思想の根源は「ダダイズム」という思想である。
ダダイズムとは、人が人としてこの世に生を受け、赤子として誕生するわけであるが、本当にピュアーな精神、心持ちはこの誕生の時だけであるという考え方であると解釈している。
人がピュアーである事ができる時期は赤子の時だけなのである。
その後の人の生は全て汚れきり、そして人は死を迎えると考えられている。
これは私の持論であるが、死を持って心の汚れは払拭され、ピュアーな世界に導かれる。
中也は己が汚れていく事に非常に敏感であり、少しでもピュアーな世界に身をおきたいと俗世でもがき苦しむわけである。
そして、彼は生きている事への原罪を常に持ち続けていたのである。
そういう意味では中也は親交のあった太宰治と似通っている。
太宰治が残した「生まれてきてごめんなさい」と通ずるものがあるように思える。

彼の詩は苦悩する魂の変遷と言って過言ではなかろう!!

僕が一番惹かれた詩は「春日狂想」
冒頭の一句
愛するものが死んだ時には、自殺しなければなりません。
小生が青春を謳歌していた若かりし頃、この一節が強烈なインパクトでズシンと心の深低部に突き刺さってきた。。。
同じことを考えていたのである。。。

中也は30歳の若さでこの世を去る。
類い稀な鋭敏な感性と実直な性格ゆえ、常に真摯に自己分析し、時には自虐的になり、最後は心身膠着神経衰弱を発症し、短い人生を閉じた。。。
破滅的と言えば破滅的ではあるが、究極のロマンティズムを求め、傷つき疲れた中也は、短い人生を妥協する事なく、己の人生を生き抜いたといえるのではなかろうか?!

小生は中也の思想観念に若い頃から深く傾倒している。
彼の傷つきやすいナイーブな感性が好きだ。
究極の愛とはなんぞや!

【山本周五郎】
1903(明治36年)年6月22日、山梨県北都留郡生まれ横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の質店山本周五郎商店に徒弟として住みこむ。
やがて関東大震災に遭い、一時期関西に逃れる。
’26年(大正15年)4月『須磨寺附近』が文藝春秋に掲載され、文壇出世作となったが、この作品は関西時代の体験に基づいている。その後不遇時代が続いたが、徐々に大衆小説誌を舞台に作品を発表。『日本婦道記』が’43年(昭和18年)上期の直木賞に推されるも受賞を辞退。
その後数々の賞に擬せられるも読者から十分に賞は頂いているとして全て辞退。
’58年(昭和33年)代表作『樅ノ木は残った』完成。以後、『赤ひげ診療譚』、戦前の浦安居住時代をもとにした『青べか物語』など次々と代表作を発表。大衆文学と純文学という区分を嫌い、小説には良い小説と悪い小説しかないという普遍妥当性への追及と小説技法へのこだわりを併せ持った作風は終始一貫していた。一般には「庶民派」として知られ、下町もの職人ものの短編にも秀作が多いが、書くジャンルが多岐に渡っており市井の生活を描く以上にストーリーテラーとしての才能に恵まれていた。
1967年(昭和42年)2月14日死去。
享年63歳。


18歳の頃、はじめて小説を読んで泣いた記憶がある。
僕の人生に多大な影響を与えた作家である。
彼のテーマ?”人を傷つけないようにいつも生きる”
でも、人は生きていれば人を傷つけているのである。
もっと人間らしく生きればいいと思うようになってきた。。。


【がんばれ元気】


http://palettes.cool.ne.jp/manga/151-200/178_ganbaregenki/ganbaregenki.html
小山ゆうの原作
20代前半はじめて漫画を読んで泣いた。
ああ〜泣いちっち〜
息子の源喜はここから名前をつけました。

【カランコエ】

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/karankoe.html
可愛い花なんだな〜、こんな小さな花びら、これがまたいいんだな〜


【名古屋港水族館&東山動物園】

名古屋港水族館 http://www.nagoyaaqua.jp/
東山動物園   http://www1.ocn.ne.jp/ ̄ngyzoo/

水族館&動物園大好き!
水族館には僕が毎年北陸に釣りにいく本目の魚のあずきます(きじはた、あこうともいう)のバカでかいのがいる。50センチくらいあるかなぁ?何しろすごい!(2年前に水族館に行ったらもういなくなっていた、残念!2008年)
動物園は久しく行ってないが、なんかのんびりできるから好きだ。昔はよく行った。別に動物に興味があるわけではない。
うう?ん、でもよく考えると人間の勝手な館&園かな?

【あんかけスパゲッティー】
ソールスパ
http://soulmoto.hp.infoseek.co.jp/
名古屋名物あんかけスパ大好きです。
ソールスパよく食べにいった。スパイスきいておりピリカラ最高!

【オープンハウス&ユッカ】
なくなったけれど脳裏に鮮明に残っている今池にあった オープンハウス&ユッカ。
オープンハウスには18歳から出入りしていた。
ホントよく行った。
その頃はブルースといえば超マイナー。
そんなブルース.ライブハウスがオープンハウスであった。
階段をおりていくとウス暗い店内。
女性のお客はその当時ほとんどいない。
店内にはいるとカウンターにいる常連客がぎろっと睨む。
何かこちらが悪い事でもしているような錯覚におちいる。
そこに近藤房之助がいた。
ライブで好きなバンドはブレイクダウンが好きだったな〜
近藤房之助&はっちゃん最高だった。
ユッカははじめてライブ出演させてもらった。
よく一人でふらふらライブも聞きにいった。
ホント多彩なartistが出演していた。
オープンハウス&ユッカ
今でも好きだ?今はもうないんだがや〜。そう青春の1ページである。